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ノーモア・ミナマタ

新潟水俣病が公式確認されてから来年で60年。現在もまだ第2次訴訟が続いています。

原告の方たちの平均年齢は75歳。被害発生から半世紀以上過ぎていますが、被害の全体像が不明で、患者認定や国による救済策の対象外となった人たちが繰り返し司法に訴え国と戦っています。

この問題は未だ終わっていないのです。

水俣病は、メチル水銀を含む工場排水によって、これを多く取り入れた魚や貝を人が接収したことによって水銀中毒が大量に発生した、国の認める公害病です。

熊本水俣病が(1956年)に公式発見され、その9年後に起きた第二の水俣病が新潟水俣病です。新潟水俣病は、熊本で水俣病が発生した時に、原因究明や被害者救済などを適切に対処しなかったため、再び起きた公害と言われています。






本日は立憲民主党環境部門の新潟視察による、ヒアリング(3団体、新潟水俣病共闘会議、新潟水俣病被害者の会、新潟水俣病阿賀患者会)に私も同党の地方議員として出席しました。


何故未だに裁判が続いているのか?

➀国が水俣病の認定基準を改悪し、認定申請を行なった多くの被害者が棄却された

➁国の認定基準によって棄却された被害者が、司法の場(大坂・熊本・新潟の各地裁)で水俣病と認められても国は基準を見直さない

➂被害地域住民の健康調査を行なわないため被害の全容が明らかでない

➃水俣病に対する差別偏見を恐れて認定申請をためらっている人が多くいる






ヒアリングから、体の不調は、電気が走ったようなしびれ、頭痛、こむら返り、味覚障害、視野が狭くなる、足のもつれなど、一人一人症状が違うこと。体の不調の原因がずっと分らなかったが、未だに薬もなく治らないこと。偏見から患者認定をためらった背景。S52年の環境省の判断条件から認定基準が厳しくなり、ほとんど認定されなくなったことなど、真の救済制度となることを1日も早くと望み長い間戦ってきたことが分りました。

また、水俣病患者の支援者の方からは、この問題はこれまで救われても新たにまた差別を生んできたこと。長きに渡り差別に苦しんできたけど、裁判が終わればそれまでで、人々の記憶に残らない。未だ苦しむ人たち救うため戦う運動と同時にケアしていくこと。この問題を人々の記憶に残していくため文化運動の力を広げていくことが必要であることをお聞きし、活動の重要性を改めて教えていただきました。



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